三笠新道は、大雪山の高原温泉沼と高根ヶ原を結ぶ雪の回廊です。
通行できるのは、林道が開通して入山可能になってからヒグマが居つくまでのわずか数週間。幻の登山道とも呼ばれています。
豪雪地帯の大雪山のなかでも最も積雪量が多いこのエリアでは、雪融けとともに春を待ちわびていた高山植物が一斉に芽吹き、残雪と沼が独特の景観を作り出します。
春の到来をいちはやく体感できる三笠新道の魅力と、大雪高原温泉沼~三笠新道~緑岳のモデルコースを紹介します。
Contents
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コースの魅力
北海道上川町層雲峡にある高原温泉沼からスタートして、三笠新道、高根ヶ原、緑岳を時計回りで1周します。
ここを通行できるのは6月中旬から7月上旬。登山道はまだ厚い雪渓におおわれて、冬の様相を残しています。
一方で、雪融けは静かに進んでいます。沼には雪解け水が注ぎこみ、春を待ちわびた高山植物が競うように咲き出します。ヒグマなどの動物たちも活動し始めます。
一帯は、大地が凍ったり溶けたりしたことで地滑りを起こした周氷河地形です。北海道の大地がなだらかである一番の要因が氷河期にあることは、ここを訪れると一目りょう然。
山の高さや険しさより大雪山の雄大な景観を楽しむ、地質好きにはたまらないコースです。
独特の地形が織りなす景観
スタート地点の高原温泉沼は、大雪山北部の標高1200m~1500mの一帯にあります。
1000年以上前、高根ヶ原の一部が大規模な地滑り(ソリフラクション)によって崩れ落ち、陥没地帯に水が溜まってできたといわれています。
氷河期には、北海道は平地まで永久凍土におおわれていました。
夏に表面が融けても、地下は凍ったままなので水が地面に染みこまず、ドロドロになった地表面が地滑りを起こす現象がソリフラクションです。
高原温泉沼では、崖から崩れ落ちた土砂がグニャリと下にたまって波打っています。ソリフラクションを繰り返して沼地が形成されたことがよく分かる地形です。
小規模な落石は今も続いています。何万年もしたら、高根ヶ原はなくなってしまうのかもしれません。
沼と雪が織りなす景観
高原温泉沼には大小30あまりの沼が点在しています。
大規模な地滑りを繰り返した結果、凹地に水がたまってたくさんの池や沼ができました。
紅葉期にはウラジロナナカマドの紅葉やダケカンバの黄葉が水面に写り、錦絵のような景色が広がります。全国から観光客が大勢訪れる北海道屈指の景勝地です。
とはいえ、三笠新道が通行できる6月中旬~7月上旬は、沼も含めて大地のほとんどが雪の中です。
この時期の最大の見どころは、少しずつ雪が溶けだして姿を現す沼の青と雪の白のコントラスト。緑と白のゼブラ模様も、山容をくっきりと浮かび上がらせます。
この地をアイヌの人々はカムイミンタラと呼びました。「神々が遊ぶ庭」という意味です。
大量の雪融け水がもたらす恵
冬の間、高根ヶ原の崖下には大量の雪がたまります。豪雪地帯の大雪山のなかでも群を抜いた積雪量です。
雪融け水は周辺を潤して多くの恵みをもたらします。
一帯は高山植物の宝庫です。この周辺だけでも120種以上の高山植物が見られるそうです。
三笠新道が通行できる期間中は、崖下はまだ厚い雪渓の下にあるため高山植物を多く見ることはできませんが、そこから急斜面を登り切って高根ヶ原に取り付けば、あたり一面に花畑が広がります。
大雪山は高い山でも2000mちょっとですが、気候は本州の3000m級に匹敵します。たくさんの高山植物が、足早に通りすぎて行く春を追いかけるように次々と開花します。
ヒグマの保護観察地域
高山植物が咲き出すと、高原温泉沼の崖には日本最大の陸上動物ヒグマが姿を現します。
オスの成獣で500kgにもなるヒグマは、意外なことに雑食性。好んで食べるのは草や木の実です。大好物はサトイモ科のミズバショウやセリ科のハクサンボウフウ。
高山植物の根や葉は成長とともに固くなって食べにくくなりますが、三笠新道のある崖付近には大量の雪がたまっているので、夏になっても雪融け直後に芽吹いた柔らかい植物が豊富にあります。
暑さが苦手なヒグマにとって、夏でも雪が残る崖はかげかえのない避暑地にもなります。
ポツリポツリと現れていたヒグマが常に目撃されるようになると、ヒグマが居ついたと判断されます。
そこで三笠新道はクローズ。通行できるのはわずか2~3週間ほどです。
三笠新道登山ガイド
高原温泉沼からスタートして、三笠新道、高根ヶ原、板垣街道、緑岳をグルっと回るコースの基本情報です。
距離 | 約13km |
標準タイム(休憩含まず) | 約7時間30分 |
登山口 | ヒグマ情報センター 7時~入山受付開始。センターでレクチャーを受けてから出発してください。 |
難易度 | 上級 |
装備 | 12本爪アイゼン推奨、ピッケル |
水場 | なし 雪渓の融水や沼の水を、煮沸するか浄水器を通して飲用します。 |
山小屋 | 白雲岳避難小屋 例年6月20日頃から有人 |
駐車場 | ヒグマ情報センター前に50~60台の駐車スペース有り |
トイレ |
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通行可能期間 | 6月20日~ヒグマが居つくまで 2019年7月5日閉鎖、2020年は6月30日閉鎖、2021年7月5日閉鎖 |
林道 | 国道273号線の「大雪高原温泉」看板を目印に、ヤンベタップ林道を10km登坂します。 |
問合せ先 | ヒグマ情報センターには電話・通信機器がありません。最新情報は下記にて確認するようにしましょう。
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高原温泉沼への林道は例年6月10日ころ開通します。すぐに入山することは可能ですが、コースが整備されていませんので、知識・経験が豊富なエキスパート向きです。一般的には、6月20日にヒグマ情報センターが開館してから入山するのがおすすめです。
ヒグマ情報センターが開館すると、センター員が危険個所の整備をしてくれるほか、ヒグマの監視もしてくれます。入山前にはセンターで最新情報や利用ルールのレクチャーを受けてから出発するようにしましょう。
紹介するコースの逆回り(緑岳から入山して高原温泉沼に下山)や三笠新道のピストンなど、三笠新道を下るコースはおすすめしません。滑落や道迷いするリスクが高くなります。
地図読みスキルは必須です。地図とコンパスのほかにも、GPSを駆使できるとより安心です。また、急斜面の雪渓登りに備えて、アイゼン歩行と滑落停止のトレーニングも経験しておきましょう。
コースの一部は、大雪山の登山道の難易度を表した大雪山グレードで最高難易度5に該当します。知識と技術、経験が求められるコースです。
コース概要
トータル7時間30分(休憩なし)
ヒグマ情報センターの受付は7時開始です。15分ほどレクチャーを受けた後、センターから高原温泉沼に入ります。
しばらく針葉樹林帯を歩いてヤンベタップ沢を渡ると、高原温泉沼を一周するコースの左右分岐(ヤンベ温泉分岐)に差し掛かります。火山群にあるため、あちこちから温泉が湧いています。
左回りで三笠新道を目指します。右回りの方が距離は短いのですが、監視員が左回りで配置につくため、左回りの一方通行ルールです。
写真でよく見かける緑沼。高根ヶ原から緑岳にかけての眺望がすばらしいですね。雪を踏み抜いたり、滑り落ちないように注意しながら、沼の縁ギリギリを歩きます。
緑沼を過ぎたあたりから雪渓歩きになります。地形図とコンパスでこまめに現在地を把握しながらルートファインディングしていきます。
えぞ沼では、水をかぶった雪が反射してエメラルドグリーンに輝いています。
三笠新道分岐に差し掛かりました。ここからコースのハイライトが始まります。高根ヶ原まで標高差は200mほど。しばらくは高度を上げず、崖の下をなぞるように進みます。
空沼(からぬま)の北を通ります。空沼は秋には文字通り水が涸れ上がります。
崖の雪渓には、落石がつけた茶色い筋が何本もついています。音を立てずに落ちてくる石を横目に歩くのは、なんとも落ち着かない気分です。
コース一番の難所、大雪渓の手前でアイゼンを装着。
アイゼンを雪面に食い込ませながら、一歩一歩感触を確かめるように登ります。
後ろを振り返るのさえためらう斜度です。
尻滑りしたくなる衝動にかられますが、三笠新道の下りはおすすめしません。下りすぎてコースに戻れなくなる人、滑落する人が毎年続出しています。登り切った先には、飲み込まれてしまいそうなほど雄大な景色が待っています。
横一線に並んだハイマツのわずか70㎝くらいの切れ目から、高根ヶ原に入ります。
ここから先は高山植物のお花畑が広がります。崖下はまだ厚い雪でおおわれていたのに、標高が高い高根ヶ原は春満開というのは不思議ですよね。高根ヶ原は平らな地形なので雪は強風で崖下に飛ばされ、雪解けが早いのです。
少しずつ高度を上げながら、大雪山の縦走路として有名な高根ヶ原の尾根歩きを楽しみます。高根ヶ原は3kmにわたる広大な溶岩台地です。見渡す限りの荒涼としたレキ地にお花畑が広がります。
振り返れば、高根ヶ原の遥か遠くに忠別岳やトムラウシ山が見えています。
白雲岳の1km南に位置する白雲岳避難小屋です。2020年に建替えられました。外観こそ以前の小屋と変わりませんが、中は明るく快適です。
板垣新道を通過して緑岳へ向かいます。ここは夏でも溶けることがない万年雪でおおわれています。視界不良時に道迷いしないよう、所どころにピンクテープをつけたロープが渡されています。
緑岳までの稜線上には、周氷河地形の一種である大規模な構造土が広がります。ここもまた、高山植物の宝庫です。
緑岳から来し方を振り返ると、大雪山随一ともいえる雄大な眺望が広がっていました。
緑岳を下ると広い雪原が現れます。ここにも道迷い防止のピンクテープ付きポールが立ててあります。雪渓はショートカットできるので時間短縮のメリットがある一方、悪天候時にはホワイトアウトして道迷いにつながる諸刃の剣です。
新緑が目に優しい樹林帯のなかを硫黄臭が漂ってきたらコースは終盤。初夏を感じさせる下界に到着です。
三笠新道の注意点
高原温泉沼から三笠新道を通り、高根ヶ原から緑岳を時計回りで1周するこのコースは、大雪山グレードで最も難易度が高い【グレード5】を含む上級コースです。
夏山シーズンに求められる技術や知識が総合的に試されるコースでもあり、それだけに下山したあとの満足感は格別です。
コースの注意点をまとめました。
道迷い
コースの多くが雪渓におおわれているので、ルートファインディング技術が試されます。地形図とコンパスによる地図読みができることは、入山にあたり必要最低条件です。
天気が良いときは、ランドマークとなる山や沼から現在地や進行方向の把握が容易にできますが、悪天候で視界不良になると難易度が飛躍的に高くなります。スマホGPSや登山専用GPSの扱いも熟知しておくとより安全です。
ガスでほとんど視界がない三笠新道を登ったときは、高根ヶ原の入口(わずか70㎝幅のハイマツの切れ目)を見つけるのに苦労しました。
切り立った崖なので、むやみやたらに歩き回るわけにはいきません。スマホGPSでピンポイントで現在地を表示し、そこから地図とコンパスで進行方向を割り出しました。それ以来、万が一に備えてスマホ地図アプリも併用しています。
滑落
最大の難所である三笠新道は、最大斜度が35度以上の急斜面です。アイゼンとピッケル必須です。アイゼンは12本爪推奨です。
「グサグサ雪で軽アイゼンでも難なく下山できた」こんな山行報告がネットに散見していますが、たまたま運が良かった事例は参考にしないほうが無難です。
ヒグマ情報センターの方によると、滑落する人が毎年続出しているそうです。
軽アイゼン(6本爪)では歯が立ちませんし、そもそも三笠新道の下りは滑落のリスクが高くなるのでおすすめしません。
天候によって雪面状態は刻々と変化します。雨が降った翌日冷え込んでクラストすることもあれば、6月でも雪が降ることもあります。グサグサ雪の下がアイスバーンという危険な状況も生まれます。
最悪のコンディションに対応できる装備と滑落に備えたスキル(アイゼン歩行・滑落停止訓練の事前トレーニング)が必要です。
落石
雪融けとともに地盤が緩んだ高根ヶ原の崖からは、落石が多発しています。
高原温泉沼自体が、大昔、高根ヶ原が大規模な地滑りを起こして土砂がたまってできた場所ですから、それが今も小規模ながら続いている、といっていいのかもしれませんね。
幸い危ない目にあったことはありませんが、小さな落石には頻繁に遭遇しています。雪の上を音もなく静かに落ちてくる落石は、不気味で怖いですね。
ときには斜面ごとゴッソリ剥がれ落ちる大規模な崩落もあるようです。小さな落石が大規模な崩落の予兆かもしれません。足元だけでなく、崖上にも十分注意して歩くようにしましょう。
参考:「高根ヶ原斜面の崩落」大雪山高原温泉ヒグマ情報センターfacebook
ヒグマとの遭遇
一帯はヒグマの生活圏です。ヒグマは高山植物が豊富にある夏の間、高根ヶ原の崖周辺に棲みつきます。
三笠新道が通れる期間中は、ヒグマ情報センターの監視員が望遠鏡で観察し、登山者に注意喚起してくれます。
目撃情報が相次ぐ、ブッシュからヒグマの唸り声が聞こえる、登山者とニアミスするなどの情報を集積し、高根ヶ原の斜面にヒグマが居ついたと判断したら、三笠新道は通行止めになります。
登山者は入山前にヒグマ情報センターでレクチャーを受け、ヒグマの生息域でのルールを守って行動していますが、まれに、数十メートルの至近距離でヒグマと遭遇してしまうケースが起きてしまいます。
予期せぬ事態にも、落ち着いて行動できるようにしておきたいですね。
三笠新道の装備
このコースで必要になる12本爪アイゼンとピッケルの紹介です。
グリベル G12 ニュークラシック
アイゼンは登山靴との相性が重要になります。
12本爪の本格的なアイゼンは、基本的に靴底が固くて曲がらない登山靴しか装着できません。脱着タイプにも大きく3つ、ワンタッチ、セミワンタッチ、ストラップタイプがあり、サイズ調整幅も様々です。
そのなかでも、グリベルのG12ニュークラシックは、つま先、かかとともにプラスチックハーネス製で、多くの登山靴に対応します。愛用者が多いアイゼンですね。ベルトで固定するので脱着に手間はかかりますが、頻繁に外したりつけたりするコースでなければ十分です。
ブラックダイヤモンド レイブン
ピッケルは縦走用のまっすぐタイプがおすすめです。
役割は、ストックのように雪上でバランスをとる、滑落停止や耐風姿勢をとる、足場のカット(階段をつくる)などがあります。
ピッケルはサイズ選びが重要になります。アックス部分を持ち、先端がくるぶしにくる長さが基本です。石突きの先端は鋭利です。持ち運ぶときはカバーをつけてください。
運と実力が試される
夏山のシーズン初めは三笠新道と決めています。春の始まりを満喫できるこのコースがとても好きです。地質・火山マニアのわたしにとって聖地のような場所です。
夏山に関する知識と技術がフルに求められるのも、気に入っている理由のひとつです。力量が試されるコースを無事に下山したときは、満足感もひとしおです。
すべての登山者におすすめしたいところですが、通行できる期間があまりにも短く、地図読みスキルとアイゼン・ピッケル必須の上級者向けです。
悪天候時は冬に戻るこの時期。お天気も味方に付けなければなりません。
運と実力を携えて、ぜひお出かけください!
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