北海道の山では、万が一ヒグマに遭遇したときのために熊よけスプレーを携帯する登山者を見かけます。
熊よけスプレーは通販やホームセンターなどで誰でも簡単に手に入れることができますが、使い方を誤ると大変危険な非殺傷武器です。
熊よけスプレーとは何か、その効果や種類、使用するときの注意点などをまとめました。
Contents
熊よけスプレーとは
熊よけスプレーは、世界中で護身用に使われている非殺傷武器「催涙スプレー」の一種です。
販売されているスプレーの成分は、ほとんどの場合、唐辛子などから抽出する辛味成分から成っています。命中すると成分が粘膜や皮膚に付着し、成分が組織内部に浸透して末梢神経を刺激します。
目、鼻、喉などの粘膜には最も強く作用して、激痛で目が開けられなくなり、大量の涙や鼻水が出るなどし、皮膚にも焼け付くような痛みが走ります。クマが退散したり、もだえ苦しんで動けなくなっている間に、人間は安全な場所まで退避するわけです。
これだけの苦痛を与えるのですから、使用する側もそれ相応の覚悟を持って使いたいもの。これは、不幸にして遭遇してしまったときの最終兵器です。
ところが、そんな危険な催涙スプレーが、インターット通販はもとより、山菜シーズンには近所のホームセンターでも販売されています。規制や罰則もないまま、誰でも気軽に携帯することが可能なのが現状です。誤使用による事故も起きていることから、きちんとした指導やルールの策定が必要でしょう。
そもそも熊よけスプレー(クマ撃退スプレー)は取り扱いが難しく、安易に持つべきものではありません。まずはヒグマに出遭わないことが先決です。そのためにはヒグマの生態を知り、最悪のケースにとるべき行動を理解すること。出会う前の対策をしっかりしたうえで、熊よけスプレーを使用したいですね。
メモ
熊よけスプレーを、ヒグマより小さいツキノワグマやその他の動物に使用することは絶対に避けてください。熊よけスプレーの成分はヒグマ級の大型動物用に調整されていますから、成分が強すぎて過剰な苦痛を与えることになってしまいます。
主な熊よけスプレー
グリズリーの生息地、米国モンタナ州で研究・開発されたカウンターアソールト。登山専門店で取り扱いが多く、熊よけスプレーの定番といっていいでしょう。
カウンターアソールトCA230のストロング版です。成分が強いのではなく、内容量が多く、噴射距離、持続時間が長いという意味でのストロングです。
米国世界50カ国以上の軍や警察が使用しているとされる、SABRE(セイバー)の熊よけスプレーです。内容量234㎖は噴射距離が9m、272㎖は10.5mです。
それぞれ専用のホルスター(ケース)が別売りされています。ザックのポケットやポーチなどに入れて持ち歩くと、誤噴射の危険がありますし、すぐに取り出せません。ホルスターに入れて体の正面に括り付けておくことをおすすめします。具体的には、ザックの肩ベルトかウェストベルトに取り付けるのが適所ですね。
SHUとは?
Scoville Heat Unitの略で、唐辛子の辛さを示す値です。
Scoville が1912 年に報告したもので、唐辛子抽出物を甘味水で希釈した時の辛味を感じる値を希釈倍率で示したもの。1,000倍に薄めて辛さを感じなくなれば1,000SHUと表記されます。
食品用の表記では、タバスコソースがタバスコソース1,600-5,000、生のハラペーニョが2,500-8,000、チリパウダー30,000-50,000となっています。(農林水産省HP カプサイシンに関する詳細情報より)
上記ベア―スプレーのSHU表記は軍事用の基準なので、食品用の1/10で表しています。
登山者に人気の高い「カウンターアソールト」なら、食品用表記では3,220,000SHUとなり、チリパウダーの65倍~107倍という猛烈な刺激があることがわかります。
性質について
熊よけスプレーは油を主原料とした溶剤で成分を薄めた「油性」です。
水性の場合は水で洗い流すことが容易で安全性が高く、対人用や小・中動物に使用されます。対人用の催涙スプレーがそうですね。
油性は効果が早く、洗い流すことが非常に困難になるように製造されていますから、長く付着して強力に作用します。危険性が高くて、大型動物や猛獣用。人への使用は厳禁です。日本国内で熊に使用するなら、対象はツキノワグマではなくヒグマです。
購入は信頼のおける店で
ヒグマのような大型野生動物に使用する超強力スプレーなのに「相手が10人いても一気に全てをカバーする噴射」「イノシシの出現する地域にお住まいの方や、登山にもおすすめ」…。
ちょっとネットで調べてみただけで、首をかしげたくなる表記をしている販売店がありました。正しい使用方法を理解しているとは到底思えません。
使用期限のある商品でもありますし、保管状態も気になります。正規輸入しているものなのか、個人輸入なのか、PL法に入っているかなど、値段の安さでは換えられないものがあります。
信頼のおけるお店で、使用期限を確認したうえで購入しましょう。
航空機で運べない
熊よけスプレーは危険物ですから、飛行機に持ち込むことができません。
本州から航空機で北海道入りする場合は、あらかじめ宿泊場所に宅急便で陸路運送してもらうか、現地で調達することになります。
知床や大雪山などのビジターセンターでは、レンタルしているところもあります。めったに使用しないのであれば、管理する煩わしさがないレンタルがおすすめです。
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まずはヒグマに「出会わないこと」
ヒグマと遭遇したくないなら、まず考えるべきは、熊よけスプレーを持ち歩くことではなく、ヒグマと出会わないことです。
ヒグマの方も人間に会いたいとは思っていませんから、こちらの存在を知らせることで、お互い不幸な出会いをしないようにするのです。
ヒグマと出会いやすい条件がいくつかあります。
- 餌場に移動する早朝や夕方の時間帯
- 霧がかかって見通しが利かず、音も聞こえにくいとき
- 風が強くて音が流れるとき
- 近くに水場があって音がかき消される場所
- ヒグマの好物がある場所
出会わないためには、熊よけ鈴を付けたり、大声で叫ぶ、常にホイッスルを鳴らし続けるなどして、人間の存在を知らせます。
見通しが利かない場所では、足を踏み入れる前にホイッスルを鳴らし、物音がしないか、草や木が揺れたりしないか、しばらく様子を見て確認します。
川の近くでは、熊よけ鈴程度の音では水の音にかき消されてしまいます。あまりおすすめできませんが、沢の入渓時には爆竹を鳴らすこともあります。
登山は、ヒグマの棲み処に出入りするようなもの。どこで出会ってもおかしくないと思って行動することです。
不幸にも出会ってしまったら
ヒグマを見たとき、やってしまいがちな禁忌行為があります。
- 叫ぶ
- 逃げる
ヒグマも人間と出会ったことでびっくりしています。そこに更に驚かせるような行動をとると、ストレスのあまり防衛的な行動に移らせてしまう可能性があります。
距離があるときは、ヒグマから目を離さず、背中を見せずに静かに後退しましょう。
ただ、頭で分かっていても、実際に遭ってしまったらパニックになってどう反応するか検討がつかないのが正直なところでしょう。
叫ばない。逃げない。この二つで精一杯かもしれません。
攻撃されたら
ヒグマが突進してきても、威嚇突進行動であることが多いそうです。途中で止まり、激しく地面をたたくなどした後に後退する。このような場合には、ヒグマとの間に障害物を置くようにしてゆっくり後退します。
本当の攻撃なら、熊よけスプレーの出番です。といっても威嚇なのか本物なのか区別がつきませんから、突進してきた時点で熊よけスプレーを準備する必要があります。
ヒグマが3~4mの距離まで接近したら、目と鼻をめがけてスプレーを噴射します。
ここでいつも自問自答するのが、
スプレーを取り出し、ノズルの向きを確認し、数メートルの距離まで近づくの待って、ヒグマの顔面にスプレーを噴射する。
ヒグマが時速60キロともいわれる速さで猛突進してきたとき、冷静に上記の動作をとり、顔面に命中させることができるだろうか?
わたしには自信がありません。しかも自分が風下側に位置していたら、自分もダメージを受けます。熊よけスプレーを過信してはいけません。
本当にあった誤噴射事故
北海道で実際にあったスプレーの誤噴射事故です。
2007年、大雪山系黒岳のロープウェーのゴンドラで、登山客が持っていた熊よけスプレーの安全ピンが外れて噴射。近くにいた外国人2名が目や鼻に痛みを訴えて病院に搬送されました。
警察の調べでは、登山客は熊よけスプレーを入れたザックを床に置いており、混雑したゴンドラ内で乗客の足が当たってストッパーが外れたようです。
2008年には、道内の温泉旅館に宿泊していた登山客が、翌日の山行に備えて室内で熊よけスプレーの使用方法を確認していたところ、誤噴射してしまいました。結果、宿泊客24名が目の痛みを訴えて救急搬送、1名が入院しています。
これほど強烈な効果があるのに、スプレーという名称から気軽なイメージがぬぐえません。非殺傷武器だということを忘れず、心して携行するべきでしょう。
熊よけスプレーの処分方法
ほとんどの熊よけスプレーには有効期限があります。
処分方法はお住まいの自治体の指示に従ってください。一般的には、カセットボンベと同様に中身を全て使い切り、穴をあけて一般ごみとして捨てることになるでしょう。
熊よけスプレーの中身を出し切るには、人気のない場所で、自分にかからないように細心の注意を払って噴射する必要があります。街中では無理がありますし、林道や河川だとしても周囲に生息する動植物に害を与えることになります。
登山用品店では引き取ってくれません。一部、無償で破棄をしてくれる護身用品店があるようです。自分で処分するのは抵抗があるという方は調べてみるといいでしょう。
使用するのも、保管するのも、処分するのも、厄介で危険な代物です。
追記:熊よけスプレーの携帯は必須になった
この記事を書いた当時は、熊よけスプレーは取り扱いに注意が必要な危険物であり、安易に持つべきではないという考え方でした。
あれから6年が経ち、現在は「携帯すべき」と考えを変え、夏だけでなく冬も熊撃退スプレーを持ち歩くようになりました。
というのも、この数年、明らかにヒグマの存在を感じることが多くなりました。実際に遭遇することもあれば、痕跡(足跡、糞、食痕)を目にすることも増えています。
2023年1月、北海道の道東に位置する摩周岳付近で、エゾ鹿の死骸の周囲に点々と残されたヒグマの足跡が目撃されました。冬眠をしないヒグマは「穴持たず」と呼ばれます。秋に十分な栄養が採れないない場合、「穴持たず」が生まれ、とても危険であるとも言われています。ちなみに、山で鹿などの死骸を見つけたら、すぐにその場を離れてください。ヒグマは餌に対する執着が非常に強く、近くにいると襲われる危険性があります。
2023年6月~9月、大雪山の白雲避難小屋付近に親子のヒグマが居つきました。人を怖がらず至近距離まで接近するようになったため、ほとんどの期間でテント場がクローズされました。このときは、ヒグマ見物や撮影目的の登山者が大勢押しかけ、いつ事故が起きてもおかしくない状況に拍車をかけました。きっとあの子グマたちは「人を恐れないヒグマ」になっていくのでしょう。
2023年10月、道南の大千軒岳で登山者3名がヒグマに襲われる事故がありました。休憩していた彼らに向かってヒグマは登山道を駆け上がり、襲い掛かってきたそうです。熊鈴を身に付け、ホイッスルを鳴らしながら登っていたとのことで、通常のヒグマ対策はしっかり講じていたにも関わらず、です。さらにこの後に警察が捜査に入ったところ、同一個体のヒグマに襲われたとみられる別の登山者の遺体が発見されています。
人身事故増加の背景には、個体数の増加、狩猟などで負われた経験がなく人を恐れないヒグマが増えた、肉食化、人間の食料を食べた経験がある、などが考えられるようです。
山に入るときは熊鈴、ホイッスルは当たり前。でも、人を怖がらないヒグマに対しては効力がありません。いざというときは闘うしかない。熊撃退スプレーも基本的な登山装備に加える必要があると考えています。